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私はいずれ一つのより良い形に近づいていくと仮定してました

今回はそんな与太話を




というのも生きていく上に、目的はあくまで精神的であることが多く

私が脳や感覚で生きている、そういう形を違え

目で見える生きているもの、そこに置かれているものも含め現実的でそれは対照的なものであったと仮定したなら

それは私を否定することになります

しかしそれ自体は何の問題にもならなくて

何故なら私自身が飢餓を望んでいるからです





ここで一つの考え方があって

人はあくまで考えの波長でしかないというものです

そうなった場合に、考えは揺らぎとして人を動かすものであって

しかし人は考えを動かすものではない

それらが交信しあっているだけで、人はその中で揺らいでいるだけかもしれない







成功を是として捉える私として

それは間違いであると、そう思っているからこそ強くわかります

では失敗が是なのかというと、それは恐らく間違いなのでしょう

私が正しいと認識するものは恐らく心が適合していると感じている所で

より嫌悪感を覚えるものは、信じる所にあります

それは私が信じる所を潜在的に是としているからであって

言葉とは解釈の交錯であると同時に

それらはお互いに善悪をはらんでいると







向かうは内にあり

と私は過去に思いました

それの整合性について、私は何も思いません

というより、判断しかねるといった方が適切で

自分の中での答えというものは不確定の最中で出すべきものだと感じている私がいたとします

それは未来の自分にどう映るのでしょうか?

判断基準の一つを失った私にはわかりかねます







私は感覚を基準に動くことが多々あります

感覚がより適合しているものを幸福感として指し示してくれるからです

それは私であって、全ての私ではなくて

人が多面的であると同時に、感覚も多面的で、事象も多面的であるなら

それらはより良いものに淘汰されていくわけではなく

感覚の過不足により埋まっていくのであって

もしそうなるのならば、一つの適合性は保証されます






自然的であることが人の価値であるならば

作為的でいることもまた人の価値なのでしょう

それは人格による錯視でもあって

現実でもあるのでしょう



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