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良い○○とは何だろうと思う

良いタイムだね~となったらそれは速ければ速いほどいいんだろうけど

良い作品だね~って言われてもどこがどう良いを決定づけているのか分からない





ただ趣味ながらいくつか譜面を作ってきて分かったことがあるのは、意欲作は結構感づかれやすい

どんなにパターンや要素をとりかえとりかえ組み立てても裏に見えた輪郭を消しきれないとワンパターンだの言われてしまう

人はそこまで細部まで見てはいないのだと思う

その理由として、生産者側から作品を見る人が少ない

自分もそうなんだけど、まず「これはそんなに面白いのか?」という視点から入って、あぁやっぱり、とかなんだこれ!?となるわけで

このなんだこれっていうのが結構大切だと思う

大切なだけなんだけども





主観的価値というものがあったとして、そうなるためにはどうしたらいいかというと普通を知っていることが大前提だと思う

芸人においても、いくら少し浮いた巧妙なボケを放り込んでも、その人が普通を知ってますよーというアピールをしておかないと、あの人は変わってるけど面白いなー止まりになる

ツッコミもそのためにいるのだと解釈している

しかしここの線引きが微妙に難しい

微妙に親近感を抱かせつつ、あぁやはりこれは一味ちがうなという印象を抱かせないといけない

我が道を行きすぎると半ば放置されてしまう典型例ではないかなと思う。いわば玄人受けみたいな

あぁこの人が言ったからこれは素晴らしいなーとか、第一印象に左右されるのはもちろんある

そこをなくそうとも思わないけどしかし真に良い作品とは何かを理解するには作品と向き合うこと自体が大切で

仮に自分が作品を作ったとしたら、それは到底一般的に理解することはできないと思う




こういう文章を書いてても後日見返すといまいちすっと入ってこない

おそらくその状態が一般的に理解するということだとおもう、それでも話の内容を知っているわけだから、なんだこれ!?の段階が飛んでしまう







最近良いなぁ~と思ったのは、響け!ユーフォニアムというアニメなんだけど

どうしていいのかなぁと考えた時に、まず内容がスッと入ってきやすい

入念に聞いたり見たりしないと面白くないのって結構あると思う

アマチュアにすごく多い

アマチュアとプロの違いって冷静な他人の意見を聞くチャンスがあるかどうかではないか



そして内容がすっと入ってきた上で作品の色々な部分がすごく凝っている

演出にはじまり演技も音響も劇伴も構成も

この凝ってるなぁーのところに行くまでの道のりはとてつもなく険しい

作品に説得力を持たせなければいけない

凝ってないプロの作品は少ないと思う

その上でこれが凝ってるなぁーと思えるのは、少なくとも表面の段階が自分の中に滞りなく入ってきているからではないかと






余談だけど最近向上心を持って何か趣味に没頭するということが無くなった

昔は何かにつけて見えない自分からの圧力でただ噎せながら考えてきてたけど

精神的な余裕というか、あぁ人ってこういうもんだし色々こんなもんだよなぁみたいな、箱庭的な理解をするようになってからというもの

ただ結果がよければいいやとも思うし、それが当たり前になってるせいで少し考えれば解かるようなことを見ても感心するようになってしまった






最近新しいことに触れる機会が多いので、そういった脳内麻薬的な刺激を受け続けたことも在ると思う

面白くないなぁと思ったら、面白いと思うような物事や喋りをしたいと思うし、それがどうしようもない平坦な状況を生み出しているんだともおもう

だけど人ってそんなに強く生きられるわけではない

圧力におびえて理想の自分に怯えながら考え続けていた頃が今思い返してよかったのかと言われるとそうでもないのだと思う

それを何かにつけてどっちが悪いどっちが良いみたいにしてるからおかしな話になるのだ

ここは良い、ここは悪い、この時はいい、今はしんどい

こんな感じで考え続けられたらそれは最高だと





人は結局変われても一時的だ

高いレベルにはいけるかもしれないけどベクトルは影響を受け続けなければそのうち戻る

人間的な付き合いの場で怒ったりイライラしたり負の感情を抱いては

これはあくまで持論だけど、意識してやっていることをやらない人がいると人は怒る

天然の人が計算高い人を見てもなんとも思わないのと同じで

やはり自分にもそれは起こる




でも結局長い期間で見ると、あれ?俺ってそんなに怒ることが変わってないのかも?なんて思ったりする

自分がやられて嫌なことはやらない。だからそれが自然になっていく、でも結局その行為をされると無性にイライラする。

自分の場合は「他人への過干渉」。

ある一定の時期を過ぎてからこれが無性に嫌いになった、いまやそれをしないことが自然の一部でも

やはりこれをやられるととても不愉快になる、だけどこれが嫌いになる前は自分でもやっていたのだ

これが嫌いになったきっかけは、自分の歪んだ情報の発信に対して、全うに怒った集団がいて

しかし全うに怒られたところまでは良かったけど、その後も当時の不満をあれやこれやとぶつけられてしまった。

これも平常時なら何とかなったけど、当時はひどく傷心だったから、そういうことを気にする余裕になかったし

運の悪いことに、傷心ゆえの行動に対して咎められてしまったのだ






結果その集団から離れた

一つめはいる意味がないと感じたからだ

二つめは離れないと変われるきっかけをつかめないから

自分の中で無意識的にその集団を悪者にすることでより良い自分に変わりたいと思った

その内でその人達はもう必要ないのである





これがどういうことを意味するかというと、自分はクズであるということなんだけど

結局クズになれなかったらどちらにも振り切れない

悪いと思ったことをしでかして、最大限に集団をかきまわしてしまったとしても自分がいやだなと思ったことを自分で変えるきっかけは、こうして人格否定まで起こらないと変わらない





何の話だっけ

良い作品の話か、もう何をはなしてたのかわけわからなくなってしまった



向上心における何が大事か!!みたいなものはたぶん情熱だと思う

情熱さえあれば向上心がなくてもいい(これは言い過ぎか)

例えば思い切り楽しみたい!! これはすごく良いと思う、こんなことを自然に思えないから





よく譜面を作ってるとこれは音楽に沿ってない なんてことを言われる

一般的にはそうかもしれない。でも自分は情熱を注ぎたい。

曲と譜面が全く同じことしか語らなかったら退屈だと思う、のっぺりと模写するだけだったら流れ作業でも出来る

でも情熱を注ぎ込むのは今しか出来ない、今を逃したら二度とその熱は戻ってこない

もちろん同じ熱さはいずれ帰ってくるかもしれないけどね

だからそれが疑問視されたとしてもそこは貫きたい。同じように思っている作品を評価したい。

これは間違いなく自分における良い作品の条件に入ると思う




また違う話になるけど、思い返してみるとぷよぷよも好きだから続けてただけで、上手くなりたいという気持ちはあまりなかった

好きこそものの上手なれということわざがある

自分は好きなものは誰よりも多くそのことについて知っていたいし考えてもいたいと思う

知っているだけじゃ不満だし不安なのだ

良く思うのが、特定のゲームを上手くなりたいなら別のゲームで上手くなろうとすることが大事だと

だから考えていなければいけない、好きだからこそ疑いたい

これは良いものだねー、だけで終わらせたくないのだ。むしろこれのここがダメだよなーといいたくなるまで煮詰めたい

作品でもそう。

その人達を心から愛して尊敬しているからこそ、その人達の理解まで歩み寄りたい





根本では変われないけど、人はそれでもいいと思う

皆が面白いと思う自分になったらつまらない

ある種妥協に似た敬愛は、いつでも情熱を与えてくれる

それを内在的な自分に置き換えた軋轢みたいなものこそが、良い作品の原動力なのではないかと
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こんばんは皆様、いかがお過ごしでしょうか

もはや天気も冬至の様相を呈してきていますね

エベレストでは手などを外気に晒せば切除処分しないといけないなんて物騒な話もあるみたいで

お前はエベレストの話をしに来たのかと言われればそうではないのですが

最近ぷよぷよについて記事書いてないなぁなんて思いに耽り

実際に見たいという人も大勢いたので(約二名

自発的にかいていきまーす





rtaについてですね!

自分の思考以外について改まって話すのも中々無い機会なので違和感もすごい

世に言う500万100万なんてものもあると思うけど、今回はどっちにも役に立つようなお得な情報を拵えてやってきました

というのも言い過ぎなんですが

rtaの前にやると面白いほどタイムが縮むことに優先順位をつけましょうか。


1.大連鎖を安定させる(13~16辺りが良いかな

2.なるべく残しに無理を残さない

3.連結を足す

4.早く組む

5.暴発の危険性を減らす

6.第二折り返しへのスムーズな移行


これくらいでしょうか。

受けの広さはあまり気にしなくてもよいとおもいます

というのもあまり広すぎてもどうとるのか器用貧乏になってしまいがちで

rtaでは器用さよりもパワータイプであったほうがよろしいのかな

実践形よりも早めに可能性を切り上げて大丈夫です。

すこし例をあげるならばこんな感じかなー



こうなったら四列目の青をさよならしちゃって伸ばしたほうがタイムも早くなりやすいです。



青ゾロ大量入荷であればこの限りではないけども、大半はある程度の切り捨てをしてその分を飽和の底上げに充てがってあげたほうが安定もするしはやくなりやすい

もうすこし論理的な説明をするならば、無理に青を回収しようとすると形が崩れた上暴発の危険性に加味した色の制約がかかりやすいかな

そこは余り望むところではない

本戦力あるのに安定しない人もやってみるといいかも






結構読みにくい文章になってしまったな

順を追ってそれぞれ解説していこう

大連鎖が組めるかどうかは説明不要というか、まぁそれが出来るかどうかの話だよね?って感じなのでこれについては長くなりそう

先ほどの繰り返しになってしまうけど、ぷよが一つ余剰として残ってる状態というのは言うほど悪くない。

むしろ効率の観点から言えばいいとまで言える

rtaにおいて何が大事なのかといえば、一つでも多くツモを引くこと、そしてそれを八割方活かすこと

十割である必要性はない、とまで言い切るのは強い表現すぎるので避けるけど、そのためにやってる!って感じでなければ

大体、形なぁなぁな感じで、それよりも大筋に命をかけようということ




まず土台だけど、大半はぷよが残ってる状態だと思う

そういう時に一歩残しに対して妥協してあげると割りとスムーズに行くんじゃないかな



こういうのとか



これが最大効率になることだってあるし

と書いて気づいたけど、これは中々注意が必要な形だ

三列目の青の縦2に耐性がないし、黄色が暴発しやすい

そういう時は埋めてあげよう



それでこういう形になったとする

そしたら赤は見捨てる、それだけ!

思ったよりも簡単だと思う



こんな感じで伸ばせるのだ




土台は埋められるよう、ぷよが最大限活かせるよう、後は連結があって平らなら完璧!

って感じー




これの応用で残しに無理を残さないこともある



こんなことになってたらやめたくなる

といってもこれはましなほう



簡単に解消できる

理解に苦しむようだったらどの色が許されるのかを消去法で当てはめる

指針を示せば、いけるものは普通に、いけなかったら同色を、それでも無理なら鶴亀

そんな難しいこと考えず気の赴くままに組むとよろしいです

平らな土台は汎用性が高い

短所として連鎖尾調整の細分化が必要なことがあげられる

難しいこと考えずにこれ以上食えないなとおもったらそこで箸を置く、箸が落ちたら取り替えてもらう





与太話になっちゃうけど、自分はこうやって論理を実装していくものに対してあまりおもしろいと思わない

そんなこという必要あるか?とも思うけど

自分が好き勝手に組んでそのどれもが否定されることなく意味を持っている

悪いところは手先の技術に収束する

タイムを縮めたいなら非効率(低期待値? は目の敵だ

目の敵だけど・・・楽しくやりたいじゃん

タイム目指したい日じゃないのに半ば期待気味にのめりこんで結果悲しみの彼方

みたいな展開あります

別に数値のためにやってるわけじゃない

数値を出した楽しみを味わいたいのだ

じゃあ楽しめたら何でも同じじゃないかと思う、それも個性に拠る所だ

しかし少なくとも自分はそう思う

もしタイムがでなくて苦しいのであれば、自分が出来ない所に目を向けてみよう

そこに楽しさがたくさん転がってる

タイムが出ないとか、受けが狭いとか漠然なものよりもっと、具体的に息の音を拾うかのような、「俺この緑おけねえんだよなぁ~」

みたいなことでいい

ぷよぷよが楽しくないなら、離れることもまた楽しいことかもしれない




何を言ってるんだ

精神失調状態だったかもしれない





次は連結かな

連結は呼んで字が如しって感じで、最後数手で土台付近のぷよを強化してあげようとしてあげればいい



ただこういう暴発には気をつけたいな

しかしこれでわかるとおり

赤連結なしですべて四連結の場合88400、赤が三連結たされた場合96420

結構差があった!

これを10本やるだけで凡そ10万点の差

大体平均が根本的に違う場合こういうものに多い!

エンドコンテンツみたいなものだけどね

それと同時にこの連鎖尾があまり好ましいものではないということもわかるとおもう

いやごめん、好ましくないことはないんだけど、連結の観点からみたら、どこいけばいいのかわかんないし

緑暴発しそうだし、牙城が崩されたら黄色暴発しそうだし、なし崩しの一途を辿ること請け合い

ということも多い

どんなのがいいの?と気になったのなら



こういうの

もちろん赤は回収したほうがいいけど、この場合世が世なら二、三列目に青をおいて超連結なんてこともありえる

結構な頻度で巡ってきます

覚えておくが吉

結構強い形がわかってきたかな

この例を添削するなら



暴発を埋めつつ伸ばしつつ連結を足しつつ

これは完璧

ツモが噛み合わなくても折り返しで青赤黄が足せるし、伸ばしきれることも多い!

一挙両得だ

ここまで打算的にやらなくても、最後の一手をちぎれば折り返しで回収されるじゃん!くらいで十分

それだけで3000点以上違うことがざらにある






早く組むのは、そこまで気にしなくてもいいかな。

やることに行き詰まって、タイムに手を出し始めた段階で気にすればいいと思う

それも楽しいと思える範囲で十分

早く組めてるしうまいなーくらいの心持ちが楽しい





まとめてみたけどこれくらいかもしれないな

考えは山のようにあるけども、整合性のとれていないものばかりで

外出用の考えはこれだけ

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考えることが全てだと思って、その先のものをずっと見据えてて

自分は考えられるから考えている自分で、そうであるから自分が成り立ってると

考える、それも大切で でもしたいからそうする そうなることが好ましいからそうするわけではないと思うんだ

世俗的に生きること、楽しむことを嫌って





背伸びも思い込みも自分の一部で、それは大切なことだと思うけど

もっと純粋に色々なことを感じたくて

幸せだから幸せで、悲しいから悲しい それがきっと幸せで

疑わないことは脳に悪いからとか

疑わないことが今の自分なら、今はその時ではないんじゃないかな

先を案じてこれがいいとか、こうすれば上手くなるからやってみればいいとか

それに身を任せて出来上がるのは能力に依存した自分だと思うから

こんなはずかしい文章書いちゃう一時の衝動的な感情こそ自分そのもので

過去にさんざん現実的な悦楽だの見下してきた大切なものだと思う



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こんにちは

唐突ながらも悩みがありまして、そんなことについてだらだらしゃべり続けようかなーと。




自分が人として確たる意志を持って自分と分離することをひとつの分岐点としておいた時に

人間関係の扱いに困っていて

こう、いい人がいたら、いいなーとなって、悪い人がいたら、あぁふーんほぉーん、と

ある程度の準備を持って接するじゃないですか、接しない人もいると思うんですけども

いい人と話す時はある程度の高揚感を持って話すことも多くて、それはつまり考えの共有というよりは

人との対話に近いと思います。

それでもって、自分を他人として接する際、その他人の指標が本義での他人にうつってしまうので

自分はより奥行きのないものになっていくんですよ!

それはつまり論考を知るということかもしれなくて

他人を自分の思考の糧として利用することになってしまう、いやこれは論理の飛躍かもしれないのですが

実際に自分は他人を考えの反響板という位置から精神的決定を左右されうるところまで重要度をあげてまして

その時に人としての自分と複雑な自分、人間味を否定するような人格はどこかに消えてしまって

人との平衡で物を考える癖がついてしまうんですよ!私は




そして精力的でいることは無理だ!無理だ・・・とまでは言わないけど少なくとも自分には難しいと思うんですよ

新しく見えた考え方も、論理も、音も、色も、全て今まで見てきた二次的ななにかの使い回しとして

あほなのか、あほじゃないなら何なんだ

自分にすかれることが全てなのかと言われてもそうではないと思うし、では他人はというのも見当違いじゃないかなとおもう

実際に自然的にあるということに関して自分が何らかの感情をいだくことを否定はしないけど

それをジャンルにわけてこれはこれ!それはそれ!というのはひどく間違ったことをしているというか

いや絶対的に間違っているというのは広く見ればそう言えるわけではないんだけども、それを疑いの濾過装置を通さずに

わーいこれが真実!ひれふせみたいなことをするのは、とてもあほだと思う。我ながら

自然が自然であるように自分は自分であって

誰しも自然というものを持っていると思う、たぶん

それが万人受けするとは限らないし、自分に好かれるとも限らない

ただ自分はそれを娯楽として見たくなくて、より自然的なところに置いて

言葉を取り除いたところで放棄しておく

放棄しておきたい?今はそれが出来ないから困っているわけなんだけども

偶像を未来の自分として指標にするから話が拗れていつもわけわからんことになってしまうわけであって

そこにより存在に近い感情を挟むなら、それこそがそのモチベーションとなってじゃあそれに好かれなかったらどうなるのかといったら

いやそれに従えばいいじゃん!となるのが

とてもベスト

・・・だと思う

思うには思うんだけども、やっぱり人としての自分は自分が好いてなりたいと思ったものになりたいと思ってしまう

それほど偶像の存在は自分の中で大きい、それが今までの考えの上での結晶ならなおさらだと思う

その対価がここで支払われるのだと期待して何が悪いのとか思ってしまう

それは結局平面的に見た感情の嗜好に過ぎないんだけど

平面的であればあるほど魅力的に見えるというのは得てして的を得ているというか、いや自分でいうかって感じなんだけども

解釈を足せる存在であればあるほど、退行してしまうというか

生産したものを消費者側から精査するの!?とか、思うんだけど

まぁ・・・止められないというか





しょうがない側面も多少なりともあるとは思うんだけど

・・・ただ言い訳したかっただけで

考える事はとてもむずかしいと思う

目的をもつこともとても難しい

いつでも死ねて、いつかは生きれるんだとも思う

自分によって動かされるのも正直しんどいし、それが他人ならむりむりむり案件だと思う

最終的に感知の段階に余計な思考も論考もいらないと思うし

その段階こそはまっさらなものであったほうが自分としては生きやすい

というよりもそれこそがあるべき・・・べきは使わないようにしてたっけ

そうなりたい!

そうなりたいな









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私はいずれ一つのより良い形に近づいていくと仮定してました

今回はそんな与太話を




というのも生きていく上に、目的はあくまで精神的であることが多く

私が脳や感覚で生きている、そういう形を違え

目で見える生きているもの、そこに置かれているものも含め現実的でそれは対照的なものであったと仮定したなら

それは私を否定することになります

しかしそれ自体は何の問題にもならなくて

何故なら私自身が飢餓を望んでいるからです





ここで一つの考え方があって

人はあくまで考えの波長でしかないというものです

そうなった場合に、考えは揺らぎとして人を動かすものであって

しかし人は考えを動かすものではない

それらが交信しあっているだけで、人はその中で揺らいでいるだけかもしれない







成功を是として捉える私として

それは間違いであると、そう思っているからこそ強くわかります

では失敗が是なのかというと、それは恐らく間違いなのでしょう

私が正しいと認識するものは恐らく心が適合していると感じている所で

より嫌悪感を覚えるものは、信じる所にあります

それは私が信じる所を潜在的に是としているからであって

言葉とは解釈の交錯であると同時に

それらはお互いに善悪をはらんでいると







向かうは内にあり

と私は過去に思いました

それの整合性について、私は何も思いません

というより、判断しかねるといった方が適切で

自分の中での答えというものは不確定の最中で出すべきものだと感じている私がいたとします

それは未来の自分にどう映るのでしょうか?

判断基準の一つを失った私にはわかりかねます







私は感覚を基準に動くことが多々あります

感覚がより適合しているものを幸福感として指し示してくれるからです

それは私であって、全ての私ではなくて

人が多面的であると同時に、感覚も多面的で、事象も多面的であるなら

それらはより良いものに淘汰されていくわけではなく

感覚の過不足により埋まっていくのであって

もしそうなるのならば、一つの適合性は保証されます






自然的であることが人の価値であるならば

作為的でいることもまた人の価値なのでしょう

それは人格による錯視でもあって

現実でもあるのでしょう